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色々趣味について

イデオロギー闘争は誰のもの?

私はプロレスが好きだ。

特に新日本プロレスが好きだ。

橋本真也選手を見てからずっと新日本が一番だと思っている。

なので当然今年の1.4も見た。

ここではメインイベントについて書いていきたいと思う。

しかし、普通に試合内容について書いても楽しくないので、この試合のテーマである「イデオロギー闘争」について書く。

 

イデオロギー闘争」とは何なのか

実は、この試合で「イデオロギー闘争」という言葉が使われた時からこのことについてずっと考えていた。

なぜなら、私が真面目にプロレスを見るようになった頃(2000年代半ば)から、プロレス界に「イデオロギー闘争」と呼べるものは無かったと思っていたからだ。

そして、この試合で、プロレス本の中でしか聞くことのなかった「イデオロギー闘争」という単語が使われた。

そこで感じたことは、私の思っていた「イデオロギー闘争」とは違うということだった。

私が本の中で読んだ「イデオロギー闘争」は、双方(およびそのファン)が全存在をかけて闘う時に出てきていたからだ。

それゆえに、イデオロギーが真っ向からぶつかる存在がリング上で激突するということは歴史上あまり無かったと思う。

UWF新日本プロレスAWA・NWAとWWEなど規模が大きいもので言えば長いプロレスの歴史を見ても数えられるほどしか無いのではないか。

 

そう思うと、今回の試合に「イデオロギー闘争」など存在しないのではないかと思えてしまったのだ。

なぜなら、棚橋弘至選手もケニー・オメガ選手も根っこの部分では現代的プロレスを是としているからだ。

彼らが争っているのは現代プロレスという枠の中での嗜好の違いなのである。

例えて言えば、プリキュアシリーズで好きなシリーズの違いがある者同士の闘いみたいなものだ。

私の考える「イデオロギー闘争」とは、プリキュアシリーズが好きな者と相棒シリーズが好きな者が闘うイメージなのだ。

 

イデオロギー闘争」の主体は誰なのか

そして、主体から見ても今回の試合に「イデオロギー闘争」は無いと言える。

先述の「イデオロギー闘争」の定義に従うならだが、敗者はその存在を失うほどのダメージを受けることになる。

UWFが新日本に敗北したことによって団体が消滅しただけでなく、UWFファンの居場所が現在のプロレス界にほとんど無いのが分かりやすい例だ。

 

今回の試合では、どちらの選手を応援しているファンであってもおそらくはその後も変わらずに新日本プロレスを観続けるだろうし、そのことに不満も抱かないだろう。

単刀直入に言えば、今回の試合でのファンの感覚は「どっちも好きだけど強いて言えばこっちが好き」というものではないだろうか。

イデオロギー闘争」なら「こっち以外ありえない」というくらいの熱が欲しいのだ。

 

どうしてこのような状態に「イデオロギー闘争」という言葉がくっつくようになったのかといえば、もちろん棚橋選手の発言がきっかけだ。

しかし、「イデオロギー闘争」とは後年振り返ってそうだったとわかるものであり、やりますと言って始めるものではないのではないだろうか。

そう考えると、「イデオロギー闘争」の主体は選手ではなくそのファンではないのかと思えてくる。

今回の「イデオロギー闘争」に違和感があるのは、選手が主体となっていたからだと思う。

 

最後に

色々書いたが、何が言いたいのかっていうと「イデオロギー闘争」っていう言葉の上っ面だけ使ってしまうのはどうなのよっていうこと。

新日本プロレスで言えば「ストロングスタイル」も都合良く使われてるよなとは思う。